2017.12.08

諦めない強さで、困難に打ち勝つ。プロレス・垣原賢人

いかつい体格なのに、とても腰が低い。

それが、垣原さんとお会いした第一印象。

取材を進めていくうちに、その印象に納得します。

「プロレスがやりたくて、高校を辞めました。」
「ブラジルでの試合では、ヘラクレスオオカブトを現地で見たくて(笑)」

大きな力を出すプロレスラーでありながら、小さなクワガタを愛するピュアな心を持つ垣原さんは、「没頭できることをやってきただけ」と、少年のように瞳をキラキラと輝かせます。

波乱万丈なエピソードが、次から次へと飛び出した今回。
大病を患ったのちに復活した彼は今、何に熱中しているのでしょうか。

Profile

垣原 賢人(かきはら まさひと)1972年4月生まれ

元プロレスラー。17歳でUWFへ入団。ノアや全日本プロレス、新日本プロレスなどを経て、2006年34歳のときに頚椎(けいつい)ヘルニアを理由に引退。その後は、クワガタと森を愛する”ミヤマ☆仮面”に扮し、クワガタ同士を戦わせる『クワレス』を通じて森林保護の啓蒙活動を行う。

2014年に悪性リンパ腫を患い、一時活動を中断するも復帰。現在はプロレスイベントや、子どもたちが虫に触れられる『ミヤマ☆仮面の森』を作るなど、精力的に活動している。

カラダを鍛える楽しさを知り、プロレスへの想いが強くなる

―― ガタイ、いいですね!小さい頃からスポーツは得意だったんですか?

いえ、そんなことなかったですよ。

ただ、中学は部活が必修で、テニスなら女子と一緒だし優雅そうだなと思って入部しましたが、すぐに辞めました(笑)そのあとに、一番ラクそうで走るのが速かったこともあって陸上部へ。

でも競技に夢中になることはなく、きついトレーニングはしたくなかったので、サボってはプロレスごっこばかりしていました。

―― 最初は「ごっこ」だったプロレス。本格的に取り組むきっかけがあったのでしょうか。

転機になったのは、陸上部で3種競技という大会に出たことでした。

短距離、砲丸投げ、高飛びの3種目で、パワーはあったおかげで砲丸投げの記録だけがよくて、単独では1位だったんですね。

それで砲丸投げで県大会へ出ることになって。

今まではやらされていたトレーニングが、それをきっかけに自ら真剣に行うようになり、楽しくなっちゃったんです。

しかも大会に出る人はマッチョの方が多いですから、その中で恥をかきたくないという思いもあって、トレーニングに夢中になりました。

頑張りましたが、結果は最下位。

ただ、カラダを鍛える楽しさは知ってしまったんです。

そこでふと、小学生のときから好きだったプロレスラーになれるような気がして(笑)

―― すごく前向きですね(笑)そこから、プロのレスラーになることを意識し始めると。

はい。

高校はトップクラスの進学校へ入ったんですが、すでに目標が勉強よりもプロレスになっていて。

どんどんその想いが膨らんで……。

一学期で学校を辞めたんです。

高校中退、プロレス団体への入門まで長い道のり

―― 高校を辞めてしまったんですか! それからどうされたのでしょう……?

まずはプロレス団体に入団しようと思いました。

しかし、すんなりとは入れてくれませんでした。

書類を送っても選考の審査すら通らず、入団テストすら受けさせてもらえず。

つまり、身長や体格など条件面の段階で書類が通過しなかったんですね。

学校を辞めてしまってから、そのときすでに半年が経っていました。

そこでUWFという、当時は前田日明(まえだ あきら)さんが代表を努めていたプロレス団体へ直談判にいったのですが、門前払いでした。

体を大きくしてリベンジしましたがやはりダメで、あのときは「僕の人生はどうなってしまうんだろう……親や周りの言うことをきいておけばよかった」と少し後悔しましたね。

それからは「東京へ行けばチャンスをもらえるのでは」と安易に考え、地元の愛媛から引っ越し、東京の新聞配達の寮に入りました。

ここからがマンガみたいな展開なのですが、その寮にUWFの入門テストを受けた人がいたことを先輩が教えてくれて。

その方と繋いでくれたんです。

―― 本当にマンガのような展開ですね(笑)

「3度目の正直」で道場へ直談判しに行くと、藤原組長こと藤原喜明(ふじわら よしあき)さんがいらっしゃって、根性試しのような試験をパスし、入門テストを受けさせてもらえることになりました。

体力テストはすごくハードでした。

受験者の20人中合格者は5人。

さらにその5人中、2人はすぐに夜逃げしました。

合格したあとの練習も辛く、ウォーミングアップにヒンズースクワットを1000回、先輩とのスパーリングを1、2時間はやるのでずっと関節を締め付けられている状態です。

きつかったですね。

念願の入団後、過酷な練習はあくまでも目標の通過点

―― かなり過酷な日々を過ごされていますが、それでも辞めなかったのはなぜでしょうか?

やっぱりプロレスラーになって高田延彦(たかだ のぶひこ)さんと横浜アリーナで戦うという思いがあったからです。

ここは通過点で、こんなところで落とされている場合ではないと。

あの日々を耐えられたのは今振り返っても自信につながっていますね。

おかげさまで、18歳のときに横浜アリーナでデビューすることができました。

そしてそのとき、もっともっと上を目指したいと思ったんです。

―― 劇的なプロのスタートですが、まだ10代の出来事ですよね?

波乱万丈な僕の人生、まだまだこんなものじゃありません(笑)

やっと漕ぎ着けた新団体の旗揚げ戦、その試合中に全治7ヶ月の骨折で入院。

治療を終えて復帰こそしましたが、その団体も4、5年で解散し、次に入団したキングダムは半年でなくなりました。

そのとき、もう競技志向の強い格闘はやりたくなくて、コンセプトが真逆の全日本プロレスに移籍しましたが、馬場さんが亡くなったのをきっかけに派閥が出来てしまい分裂して。

最終的に新日本プロレスへ移り、そこで引退となりました。

全部で7団体ほど渡り歩きましたね。

特に全日本プロレスがなくなったときは、精神的に辛かったです。

現役中から引退後のセカンドキャリアを考えておくべきだった

―― 現役時代には、引退したあとの身の振り方を考えていたのでしょうか?

当時は自分のポジションを確立するので精一杯でした。

蝶野正洋(ちょうの まさひろ)さんはよく「引退後のことを考えておけ」と話されましたが、当時の僕はファンのことを考えると、リングに集中するべきだと思っていたんです。

しかし今は、少し準備をしていた方がいいのかなと思います。

引退している身として、収入面を含め大きな苦労をしましたので。

実際に引退したのは、2006年34歳のとき。

プロレスラーとしてまだまだ続けたかったのですが、頚椎(けいつい)ヘルニアを医者に言われて引退しました。

それからの仕事については、ものすごく考えました。

引退直後、新日本プロレスから団体のフロント業務をやらないかと誘われたんです。

そのときすでに子どもが2人いましたから、家族のことも考えるとやった方が経済的には安泰ですよね。

でもその道は選びませんでした。

一番の理由は、好きなことに没頭したかったからです。

そして考えて考えた末に出てきたのは、プロレスと同じぐらい好きだったクワガタでした。

生活のために安定した職業を選ぶか、自分の好きなことを追い求めるのか

―― ここから現在につながる活動が始まりますが、常に「好きだから」という理由で進む道を決断されていますね。

クワガタは子どもの頃からずっと好きで、現役時代の巡業中も、試合後などにクワガタを採りに行っていたんです。

北海道から九州、沖縄の離島まで、オフのときは八丈島や北大東島なんかもいきました。

沖縄ではハブがいる夜の山林の中を一晩中探し回ったり、インドネシアのジャワ島に一週間泊まって探したり。

それほどまでに大好きなんです。

夢中なんです。

なので、クワガタを仕事にしようと考えたときに、売り買いするのは無理だと思いました。

大好きすぎて値段なんて付けられない(笑)

そこでアントニオ猪木さんのある話を思い出したんです。

僕が引退する数年前のことでした。

ブラジルのアマゾンで、ジャングルファイトという森林保護を目的としたイベントを、新日本プロレスの猪木さんが主催することになって、それに参加しないかと声をかけられたんです。

アマゾンの中で試合をするんですが、僕はブラジルにしかいないヘラクレスオオカブトが採れると思って、参加を決めたんです(笑)

―― 違う目的を心に潜ませていたんですね(笑)

帰りの飛行機で、猪木さんがおっしゃったんです。

「俺達はイベント屋だからよ」と。

その言葉が衝撃的でした。

それまで自分はアスリートとしてやっていたので、その“イベント屋”という言葉が妙に印象に残っていたんですね。

それが頭にあって、引退したときにクワガタとイベントが結びつきました。

「森を守る昆虫ヒーローになって、イベントをやろう」と。

引退して2ヶ月後、クワガタの仮面を被った『ミヤマ☆仮面』が誕生しました。

ただ、昆虫ヒーローのミヤマ☆仮面として何をするかまでは決めていませんでした。

―― そこからどうやってお仕事につなげていったのでしょうか?

引退の数年前に、同郷でスポーツジャーナリストの二宮清純(にのみや せいじゅん)さんと、クワガタ同士のレスリング『クワレス」』の大会を一度、開いていたんです。

その流れもあって、ミヤマ☆仮面の格好でクワレスのイベントをすればいけるんじゃないかと、イメージが見えてきたんですね。

「これだ!」と思って昆虫イベントの活動を始めました。

イベント会場でのステージショーを中心に、ミヤマ☆仮面号と称したキャンピングカーで全国を巡業するんです。

外国のクワガタなどを戦わせて子どもたちに見せ、自分はミヤマ☆仮面に扮して実況します。

おかげさまで10年はクワレスを続けています。

ミヤマ☆仮面で大活躍の最中、ガンの診断

―― 一方で、そのミヤマ☆仮面の活動中に、ご病気になられたと伺っています。

3年前、2014年に病気が発覚しました。

突然、疲れやすくなり、しこりができるようになったんです。

お医者さんから「ここまでのしこりは見たことない」と言われて、家族も呼ばれて……。

診断結果は、悪性リンパ腫。

大学病院に入院することになったんですが、もう他に何も考えられない状態になりました。

それから抗がん剤治療を行うことになりました。

抗がん剤は人によって向き不向きがあって、一番効く薬が私の心臓へのダメージが大きくて使えず、違う薬で治療を続けていたんですが、運よくいい方向に回復していったんです。

約1年3か月、仕事をどうしようかと考えるのも大変でした。

闘病中を支えてくれた息子と娘、復活を誓い遂に実現

―― じゃあ、ミヤマ☆仮面はいったいどうなって……?

なんと、息子が守ってくれたんです。

5歳からミヤマ☆仮面の活動に参加してくれていた彼は、当時、成長して14歳。

「ミヤマ☆仮面のクワレスは俺が守る!」と力強く言ってくれて、『クワガタ忍者』というキャラクターになって盛り上げ続けてくれました。

それから娘もMCとして手伝ってくれて……。クワレスの灯を絶やさずにいられたのは、2人のおかげ。

本当に嬉しかったです。

また、闘病のことは公開していたので、プロレス関係者をはじめ色々な業界の方が応援してくれました。

だから、必ず復活しようと心に誓ったんです。

プロレスを引退してから何年も経っていたのに応援してくれる方々がいて、「垣原を助ける」という意の『カッキーエイド』としてプロレスイベントを開いて盛り上げてくれて。

一番大事にしていたクワレスを息子と娘が守ってくれたおかげもあり、今年2017年に本格復帰を遂げました。

そして、僕自身もプロレスのリングに上がって戦いたいという気持ちが燃え上がり、藤原組長とのシングルマッチが今年8月14日に実現しました。

現役時に呼ばれていた「カッキー」コールの中、リングへ復帰。最高でした!10分で10回も藤原組長に関節技を極められ苦しかったのですが、充実感は大きかったです。

諦めない心、スランプでも病気でも挫けず立ち上がり続けた

―― そこから数ヶ月経った今も、ミヤマ☆仮面の活動をさらに広げられているのですね。

クワレスでは、環境問題のエコクイズなどでアカデミックなことを面白く伝えたり、昆虫体操というものを子どもたちと一緒にやったりしています。

これらの活動を通じて「クワガタなどの虫が棲む森の環境を守っていきましょう」というメッセージを伝えることも、ミヤマ☆仮面の役目だと考えています。

ほかにも、『ミヤマ☆仮面の森』を作るプロジェクトを行っています。

今の子どもたちは虫に触れる機会が少なくなっているので、森で虫を採る体験をさせてあげたい。

山梨と九州に『ミヤマ☆仮面の森』がありますから、ご家族でぜひいらしてください。

―― 最後に、プロレスラー、アスリートとしての経験がいまの活動に活きていると思うことはありますか?

やはり、諦めない心ですね。

もちろん、スランプにならないということはありません。

でも病気のときでもくじけませんでしたし、クワレスも続けてこられました。

壁にぶつかってもなにくそという気持ちがあれば、立ち上がれます。

取材後記

「クワレスをやると言ったとき、みんなひっくり返っていました(笑)」
そう屈託なく笑う垣原さんは、何だか少年のようで。

マンガの世界の住人かと思うような波乱に満ちた半生は、
私たちには超えられそうにない困難がたくさん。
それでも、軽やかに乗り越えてきたように感じるのは、垣原さんのトークが軽快だから?

いえ、それはきっと彼に強さがあるから。
好きなことに没頭しながら、何ごとも諦めなかった。
その強さが、乗り越えてきた壁を「困難」に見せないのだと。

ミヤマ☆仮面のそういう大きなパワーに
人は魅了されて、集まってくるのではないでしょうか。

垣原 賢人Masahito Kakihara

元プロレスラー
現在:ミヤマ☆仮面(プロレス普及活動)


ミヤマ☆仮面(垣原賢人)オフィシャルブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/miyamakamen

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/山岸裕一
編集/榧野文香

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