Sports

千田 健太 / Kenta Chida   元フェンシング選手|現在:日本フェンシング協会理事

強い想いが未来を明るく照らす

フェンシングから離れて、
普通に就職しようとは考えませんでしたか?

取材中、そんな質問がひとつありました。

それまで爽やかな笑顔で話していた千田さんは
真剣な顔つきになって、こう答えてくださいました。

「スポーツの世界で生きたいんです。」

Profile

 

千田健太(ちだ けんた)1985年8月生まれ

元フェンシング選手(種目フルーレ)。2008年北京オリンピック代表、2012年ロンドンオリンピックでは男子フルーレ団体で銀メダルを獲得。現在は日本フェンシング協会の理事などを務めながら、筑波大学大学院にてスポーツ社会学を学び、フェンシング界への貢献に励んでいる。

元オリンピック代表選手の父からのアドバイス「何事も自分自身で決めることが一番大切」

―― フェンシングを始めたきっかけは何でしたか?

僕が生まれ育った宮城県気仙沼市って、フェンシングが盛んで。競技人口が多いこともあって、フェンシングをやる環境としてたまたま良かったという感じでした。中学1年生から始めてみたら面白くて、中学はクラブ、高校では部活に入って、少しずつやり方を覚えていったんです。

―― 確か、お父様もオリンピック代表に選ばれたとかで。

1980年のモスクワオリンピックですね。ただ、「お前もフェンシングをやりなさい」とは一言もなくて、何ごとも自分自身で決めることが一番大切だと教えられていました。フェンシングを始めたのも、僕自身が「面白そうだな」と思ったからです。

大学はスポーツ推薦で中央大学に進みました。他の大学も選択肢にはあったんですけど、父も中央大出身なので喜んでくれるかなと(笑)

オリンピック出場を目指し猛練習、遂にロンドンオリンピック男子フルーレ団体銀メダルを受賞

―― 親孝行ですね(笑)中1でスタートしたフェンシング、中央大学ではどのような気持ちでされていましたか?

オリンピックを夢描いていたので、世界の舞台に立つためにはしっかり時間を費やさないとなって考えていました。フェンシングにかける割合を高くしようと思って、自分の時間はなるべく練習に当てましたね。あと、実は同じタイミングで日本フェンシング協会が大きな転換期を迎えていて。

2004年のアテネオリンピックでフェンシングが惨敗だった結果を受けて、4年後の北京に向けてひとつプロジェクトを実施したんです。国立スポーツ科学センター(JISS)の拠点、味の素ナショナルトレーニングセンターに有望選手たちを集めて、500日合宿をするというものでした。

僕も参加することになって、そこからはもうとにかくフェンシング漬けの毎日です。代表クラスのレベルの高い選手たちと練習する日々でした。それが大学3年生の終わり頃でしたね。

―― 日本代表に選ばれたのはいつ頃だったんでしょう。

大学3年生の春にはもう日本代表に選ばれていました。それまで年代別の代表になってはいたんですが、シニアに入るのもずっと厳しい状況で……。こつこつと練習に励んできた結果がいきなり出たので、僕自身も驚いて。代表になって、ようやくオリンピックを現実的な目標にできました。

4年生からは海外にほとんどいましたね。フェンシングでオリンピック選手に選ばれるためには、世界ランクが最重要なんですよ。国外で年間16試合を行って、ポイントを貯めて、世界ランキングで何位以内に入って、と。

―― オリンピックを目指して海外で戦っていた千田さん。確か、初めて出場したオリンピックは……

北京です。23歳のときでした。北京オリンピックの後は、NEXUS株式会社(以下、ネクサス)に入社をしました。当時、日本フェンシング協会の会長が、ネクサスの会長も務めていらっしゃって。

ネクサスではフルタイムでフェンシングをやらせてもらっていました。練習一本に集中できて、ありがたい環境だったなぁと思います。そのおかげもあり、2012年のロンドンオリンピックでは男子フルーレ団体で銀メダルを獲得できました。

オリンピックを目指しながら他のことにも挑戦する、どっちつかずが一番怖かった

―― ロンドンで銀メダル。ますます活躍されそうですが、引退を考えるようになったのはいつ頃だったのでしょう。

ロンドンでしっかり燃え尽きて、オリンピックを終えたらやめようかなと。薄っすら考えつつ、どうしようかなって悩んでいましたね。

―― やっぱり不安でいっぱいでしたか?

うーん……もちろん不安はありますが、これから自分がどうなっていくのかなっていう楽しみもありました。あとは、引退後に何をやっていいのか分からない気持ちもありましたね。ずっとフェンシング一本だったので。

ロンドンの後、実際に一度引退を決意したものの、31歳でリオオリンピックがあるっていうのは分かっていたのでまた考えました。リオまで続けるのか、それとも引退して次の人生に進むのか……。そうしたら、今はまだ自分の限界じゃないなと思って。後悔しないようリオを目指すことにしました。

その後はJOC(日本オリンピック委員会)の就職支援制度『アスナビ』に登録して、阿部長(あべちょう)マーメイド食品という地元の企業に入社をしたんです。地元からの応援が強かったので、次は地元で頑張ってみようと。前と同じく練習のみに集中させてもらえる環境でした。

心機一転だったんですが、結局わずかに戦績が足りなくてリオの出場を逃してしまいました。団体も最後のオリンピックレースで枠を取れなくて、出場できませんでした。悔しかったですね……。

―― リオの後、2020年には東京オリンピックですが、それを迎える前に引退されたんですね。

とにかく練習漬けじゃないと世界では勝てない。それは自分自身の経験から分かっていました。東京オリンピックでメダルを獲ることから逆算すると、もっともっと競技に集中する必要があるなと感じたんです。

ただ、フェンシングの他にやってみたいことのイメージもあって。でも、オリンピックを目指しておきながら、何かを並行することはあまりにも非現実的。どっちつかずになるのが一番怖いなって、僕はそう思ったんです。

色々と考えましたが、次の人生を歩むことを決めました。2016年秋の国体、31歳のときに引退しました。

研究の傍ら運営する立場としてフェンシングに今でも関わっている

―― フェンシングに真摯に向き合ったからこその決断ですね。今はどのような活動をされているんですか?

筑波大学大学院でスポーツ社会学を学んでいます。さまざまな文献を読んで僕自身の判断や見解を加えながら、自分の研究結果を日々発表していますね。今は4月入学に向けての博士後期課程の入試も控えています。

あとは日本フェンシング協会の理事として、運営やマーケティングを担当したり、JOCのアスリート委員として会議に出席したり。今年の4月からは中央大学で非常勤講師を務めることも決まりました。

選手ではなくそういう形でフェンシングに関わることで、今まで見えなかったことが見えるようになりますね。すべてが勉強になっています。

フェンシングで培ったスキルPDCAを回すクセがセカンドキャリアに繋がっていると実感

―― フェンシングを通して成長したこと、今に活きていることはありますか?

フェンシングってコンバットスポーツ(身体や用具などの接触があり、相手と一対一で戦うスポーツ)なので、自分自身の戦術どうこうよりも、まず相手のことを理解しなきゃいけないんです。相手によって戦い方を変えたり、たとえ自分の苦手な戦い方でも相手にとって有効ならそれで攻めてみたり。

フェンシングの面白さでもあり、難しさでもありますね。ただ、そうするとPDCAを回すクセが身に付いていくんです。相手によってやり方を考えて、実行して、ダメだったらまた練り直してトライする。競技を通して磨いたその思考は、結構大きかったなって思います。

アスリートだからって卑屈に思うことはまったく無いですし、自信を持って競技経験を活かそうとすれば、セカンドキャリアは希望がたくさんあります。

―― アスリートの後輩たちに、引退後のために今やっておくべきことをアドバイスいただきたいです。

僕としては、そうですね……現役中はやっぱり競技に全力を注いで欲しい気持ちがあります。競技を思いっきりやりきった後は、きっと見える景色も違うんですよね。僕自身フェンシングに全力を注いだからこそ、今の自分、今の結果があると思っています。

ただ、もし何かをやるとしたら、PDCAをぐるぐる回す練習をするのがいいんじゃないかなって。教科書を読んだり、誰かの話を聞いたりして学ぶこともいいけれど、自分で思考して結果をつくる作業って大切だと思うんです。

僕も、今、大学院では文献や先行研究を参考にしながら、考えて、自分自身の研究結果をつくり出しています。もちろん厳しいダメ出しをされることもありますよ(笑)でも、やっぱりその時も練り直しを繰り返して、いいものをつくれるように頑張るんです。

フェンシングで身につけたPDCAを回すクセがまさに活きているし、僕らしいセカンドキャリアに繋がっているなって実感していますね。

フェンシング、スポーツの価値を上げる活動をしていきたい

―― PDCAって仕事においても重要ですもんね。最後に、千田さんの今の目標、聞かせていただけますか。

直近では、大学の教員を目指しています。そのためにもまずは大学院でのスポーツ社会学を一生懸命に研究して、博士課程を修了することですね。教員になれば大学生のフェンシング指導もできます。

引退して、すぐに切り替えるって本当に難しいことだと思うんです。選手なら誰しもがきっと苦悩するところです。だから僕は、日本のフェンシング界や選手たちに貢献したいって考えていて。関わる人や競技人口を増やして、フェンシングがより注目されるようにしたいですね。

そうして将来的にはフェンシングの価値、スポーツの価値を今よりもっと上げたいです。東京オリンピックに向けてはもちろん、その後のためにも。

取材後記

「スポーツの世界で生きたいんです。」

記事の冒頭でもお伝えした、千田さんの想い。

引退後の道は、誰しもが不安かもしれません。
でも、強い想いを持っていれば、
その「想い」が必ず道を明るく照らしてくれる。

千田さんの取材を通して、
想うことの大切さをあらためて感じました。

 

千田健太 オフィシャルウェブサイト
http://kenta-chida.com/

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香

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