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鷲谷 修也 / Naoya Washiya   元プロ野球選手 |現在:外資系証券会社勤務

「野球で培った修正力でビジネスでのメジャーリーガーを目指す」元プロ野球選手 鷲谷 修也

ヒット、フライ、ホームラン!

バットを振ったときに
どこにボールが飛んでいくのか
自分の目ですぐに確認できた、現役時代。

今は、全力でバットを振っても
ボールの行方がすぐには確認できない
ビジネスという新しいフィールド。

野球から得たものを活かしながら、
鷲谷さんは日々、仕事に邁進しています。

Profile

 

鷲谷 修也(わしや なおや)1988年10月生まれ

元プロ野球選手。駒大附属苫小牧高校でプレー後、渡米。米デザート短期大学の野球部にて、2008年、2009年にワシントン・ナショナルズからドラフト指名を受け、入団。帰国後は、石川ミリオンスターズに入団。現在は外資系証券会社の債券営業グループに所属。野球を引退した選手がビジネスの世界で成功する流れをつくることを、ひとつの目標としている。

  自身の実力と向き合った高校野球。そしてアメリカへ。

―― 駒大附属苫小牧高校では、田中将大投手と同期だったんですね!

そうなんです。生まれも育ちも北海道の登別市で、スポーツ推薦で入学した駒大苫小牧では寮に入りました。1年生の秋の明治神宮大会で初めてベンチ入りして、2年生の春頃から試合に出られるようになって。

スタメンで使ってもらうこともありましたが、当時は部員数も100名近くいましたし、少しでも気を抜いたら外される厳しい環境でした。学生ながら、白髪が増えましたよ(笑)。

―― 高校生からすでにプロを目指していたのでしょうか?

プロでやりたい。そうですね……小学3年生から野球を始めて、高校2年生までは思っていました。でも、高3の春でベンチを外れて、それまで調子に乗っていたところもあったなと。もっと上のレベルを目指したいと先ばかり考えて、監督の言うことを聞かないこともあったので。

反省して、もっと足元をしっかり見ようと思いましたね。自分の実力と向き合って、僕がすべきことを考えました。その頃から絶対にプロになりたいというより、別の道にも視野を広げるようになって。勉強をしたいという気持ちも芽生えたんです。

―― 勉強をしたい。その想いで、のちに海外留学もされますね。

最初、筑波大学を推薦受験したんですが、結果はダメで。やはりそう甘くはないですね。勉強したいという考えだったので、やっぱり筑波と同じかそれより上の大学に行きたい。どうするかというときに、海外留学を思い立ったんです。

英語を勉強したのは高3の冬から。もう必死ですよ。えっと……favorite(フェイバリット)って何だっけっていう(笑)

奨学金を得るための評価の足しになればと、高校時代のプレー中のビデオをまず複数の大学に送っていて。その後、アメリカ・カリフォルニア州にあるデザート短期大学を受験して合格することができました。

そこで野球部に入ることになったんですよ。送っていたビデオが、デザートの野球部の監督の目に留まって(笑)。野球をメインで考えていたわけでは無かったのですが、せっかく評価してもらいましたし、のちに4年生大学の編入試験を受けるなら有利になるとも聞いたので。

  2度のドラフト。挑戦の背中を押した周囲からの応援

―― そのなかでドラフト指名も受けられましたよね。しかも2回も!

当時のルールでは、アメリカでは大学1年生からドラフト指名の権利があって、最初のドラフトはまさに1年目。2008年にワシントン・ナショナルズから指名を受けました。実は、2回目のドラフトよりこの時のほうが評価は高かったんです。まだプレッシャーを感じていなかったので、伸び伸びと野球をできていたのかも(笑)。

もちろん嬉しかったです。ただ、当時の僕は18、19歳。たくさん情報を集めましたが、どう判断すべきか分からなかったし、まだ自信もありませんでした。監督から「入部したばかりだから、もう一年プレーして欲しい。」と言ってもらったこともあり、1度目のドラフトは断ったんです。

2度目はその翌年、2009年のドラフト会議。同じくワシントン・ナショナルズから指名されて、受けることを決めました。そのときは、ドラフト何位であろうが次は絶対に契約しようともう決意していたんです。

―― 1度目は断ったなか、どうして鷲谷さんの心境が変化したんでしょう?

オフに帰国して北海道に戻ったとき、ドラフトで指名されたことをみんな喜んでくれて。応援してくれる人がこんなにいるんだから、成功できるか分からないけれど、まずはチャレンジしてみようという挑戦心が湧きあがったんです。

その後、ルーキーリーグでチームのリーグ優勝など経験はしたんですが、思うような成績を出し切れなかったり、肩やひじを痛めてしまったりして……。2年目のシーズン開幕直前に球団から切られました。21歳のときですね。

―― 日本に戻ることに葛藤はなかったですか。

いえ、正直、そろそろ日本に帰りたいなっていう本音もあったんです。今くらいの年齢だったり、すでに強いメンタルを持っていたりすれば、もうちょっと出来たのかなとは思いますが、そのときの僕にとっては苦しい環境で。

マイナーリーグでアメリカ人が生活するのもつらいと言われるなか、日本人がアメリカの片田舎に住んでマイナーリーグでプレーする。ひとの4倍はつらいんです(笑)。

試合前に支給される食事はたいていサンドイッチとポテトチップス。「飽きたなぁ。」って話しているアメリカ人選手の隣で思いましたよ。日本人はもっと飽きるから!って(笑)。

そういうわけで帰国したい思いもあったので、高校時代の監督に相談をしたんです。そうしたら、本間満(ほんま みつる)さんという元ソフトバンクの方を紹介してもらって。

―― そして、どういう進路を……?

本間さんはソフトバンク退団後、石川ミリオンスターズでプレーをされていたんですね。その繋がりでトライアウトを受けました。やっぱり野球で食べていけると、まだまだ信じていたので、プロのスカウトが見てくれる環境でやりたかったんです。

2010年7月にミリオンスターズに入団して、その年のドラフトを狙いましたね。3球団ほど見てくれていましたが、送球に難ありでダメ。2年目は送球こそ少しずつ良くなりましたが、痛みを我慢しながらプレーしていたこともあり成果はいまいち。やはりダメでした。

思い描く成長曲線に対してあまりにも追いついていない。そう感じたので、潔く引退することを決めました。その後は受験勉強を経て、上智大学に編入して。自分のなかで野球はやり尽くした感覚があったので、上智ではもう野球部に入りませんでした。

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